OB・OGの声 Vol.1

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2つのアイデンティティとSFC

ハレルステデ マリアンネ

SFCで私は今、ドイツ語研究室でのCAといポジションと加藤貴昭研のアシスタントをしています。CAとは“Coordinate Assistant” いわゆる、出席管理等を含めた授業補佐をする役割です。ドイツ語研究室にて、日々SAと時にはドイツ語研究室の母となり、時にはみんなの先輩として、一緒にドイツ語履修者を盛り上げるべく活動しています。 私の大好きなSFCで、自分に最も関係のある“ドイツ語”に触れ、たくさんの学生から多くの刺激を受け、とても充実した日々を送っています!

ドイツ人として日本に生まれること
私はドイツ人の父の元に生まれたものの、生まれも育ちも日本。名前だけは“ハレルステデ マリアンネ”と横文字ですが、ドイツ語はほとんど話せずに幼少期を送りました。当時の日本では、生まれた子供は自動的に父親の国籍となったので、私は日本で生まれたものの、ドイツ国籍を持ち、後に日本の国籍を得ることとなります。それにも関わらず、幼少期の私はほとんどドイツ語は話せませんでした。父は、ある程度日本語が話せるようになってからドイツ語を教えようとしていたようですが、ちょうど父がドイツ語で話しかけ始めた頃、私は第一次反抗期。話しかけられるドイツ語に、全て日本語で返答しているうちに、父も諦めたといいます。父はドイツ語を教える仕事をしていたため、とにかく「正しいドイツ語」を身につけさせようとしました。一言ドイツ語を発すると、発音、文法、を1から直され、会話にならなかった私は、父の前でドイツ語を話そうとすることはなくなりました。

幼稚園も近所の幼稚園に通っていたので、当時この全てカタカナの名前が故に、苦労したことはさほどありませんでしたが、物心ついてから、高校を卒業するまで、心の片隅で常に「何か違う」と感じていました。日本で生まれ、日本でしか育っていないのに、「議論好き」のドイツ人のアイデンティティーは何故か備わっていて、学校でも母とも、何かを主張すると、それは議論ではなく、衝突と受け取られることが多々ありました。「何か、違う」と思う度に、「それは、私がドイツ人だからだ!」と、ドイツで生活をしたこともないのに思っていました。

SFCとの出会い
高校生になり、次の進学を考えた時、慶應義塾大学に新しくSFCというキャンパスができたことを知りました。その頃、他大学、他キャンパスでの外国語教育は、英語があって、第2外国語として別の語学を学ぶのに対して、SFCの外国語教育はまず一つの語学を、使えるレベルにまで学び、その後、別の語学を学ぶこともできる、というものでした。そもそも、「独立自尊」という福澤先生の教えに感銘を受け、慶應義塾を志した私はその中でも、革新的で、実践的な教育を行なっているSFCを目指すのは普通の流れでした。

SFCでの生活は、とても自由なものでした。一言で言うとSFCは雑多。私はそこに居心地の良さを感じました。海外留学していた人、地方の高校から来た人、付属校の学生など、本当に様々なバックグラウンドを持った人たちが集まっていました。当時、グループワークをいくつかやっていたのですが、そこでは本当に優秀な人たちがたくさんいて、それまでは主張することを躊躇うことがたくさんありましたが、逆に自分が頑張って主張しないと、存在すら認めてもらえないような雰囲気があり、そのことが私にとっては、とても気楽だったことを今でも覚えています。

さて、私はSFCでようやくドイツ語を学び始めました。ここで学ばないと、ドイツ人であるのに、一生ドイツ語を話せることはないだろう、と思いながら。当時のSFCのインテンシブは、1年生の秋から3学期同じクラスで続けて、インテンシブ1−3を履修するというカリキュラムでした。SFCでのドイツ語は本当に「ドイツで使える」ドイツ語でした。そこには、一言話す度に文法を直す先生も、発音を直す先生もおらず、私は伸び伸びとドイツ語学習ができました。大学2年生、3年生の2回、夏休みの語学研修にも参加しました。語学研修が終わった後、まだ夏休み期間だったことを利用して、親戚の家を訪ねて歩きました。
ワインを片手に、叔父や従姉妹と語り合えたことは、今でも本当に良い思い出です。

卒業した私は、アメリカ系のホテルに就職しました。卒業したときには、英語よりもドイツ語の方が流暢に話せたのですが、残念ながらホテルでは英語がメインで、なかなかドイツ語を話す機会はありませんでしたが、それでもドイツから来たお客様とドイツ語で会話ができると、喜んでいただけたことはよく覚えています。

これからもSFCで
そしてその後、卒業して20年近く経ったのち、私はSFCに帰ってきました。相変わらず、夕方になると家畜の肥料のような香りは健在ですし、いくつか新しい建物ができ、納豆定食がメニューにあったラウンジは、サブウェイに変わっていたもののSFCはSFCでした。もちろん令和版SFCではありますが、お互いがお互いを尊重し、学生一人一人が、自分の好きなことを自由に探求している姿は当時と変わらない雰囲気だと思っています。

これからも、SFCという場所でドイツ、ドイツ語に触れつつ、学生の刺激を感じながら自らも新しいことに挑戦していきたいと思っています!