OB・OGの声Vol.10

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「鉄は熱いうちにうて」

岡 真希乃(旧姓: 浅川)

看護医療学部2008年度卒
所属:京都大学医学部附属病院

 私が看護医療学部に入学したのは設立されて2期生としてでした。学生はもちろんまだ教職員も手探りの中、カリキュラムの自由度もとても高かったのだと思います。春学期にベーシックでドイツ語を履修し、漠然ともっと学んでみたいと思い、インテンの履修希望表を提出しました。今思うとドイツ語研究室、学部双方の先生方をかなり悩ませたのではないかと思いますが、自由科目(卒業単位外)という形での履修が認められ、ドイツ語人生がスタートしました。しかし、看護医療学部は必修科目が多くドイツ語の成績は惨憺たるものでした。さらにインテンⅡの時に週1コマ必修科目と重なってしまい、履修できない日ができてしまいました。先生方に相談したところ、当時のTAの方が毎週授業後、7限に補講をしてくださることになりました。毎週ドイツ語研究室に通ううちにどんどんドイツ語にはまり、SAになり、気づいたら4年生の時には学部第一号として交換留学までしていました。

 そして帰国後、悩んだのが進路です。専門は看護ですが、同じくらいドイツ語にもうちこみ、このまま就職していいのか。そんな中、留学中に出会ったのがドイツ国際平和村でした。ここは紛争地や貧困地域の子どもをドイツ国内で治療し、また母国へ帰すという活動をしており、自分の医療の知識とドイツ語が活かせるのではないかと思いました。卒業までの残り半年、ボランティアとして平和村で活動し、将来的に就職することもできるのではないかと考えましたが、親、学部の先生方はもちろん、友人にも反対されました。そんな中唯一賛成してくださったのがドイツ語研究室の平高先生でした。「僕があなたのお父さんだったら反対すると思う。でも鉄は熱いうちにうてと言いますし、やりたい気持ちがあるときに行った方がいいと思う」と。結局、学生として行くよりは看護師として自立してからの方が役に立てるだろうと、このときは渡独せずに卒業後は慶応義塾大学病院に就職しました。しかし、先生の言葉が心に強く残り、絶対に行こうという気持ちを忘れずに持ち続けることができました。

 そして2011年から1年間ドイツ国際平和村の治療室でボランティアとして活動しました。ドイツ語×医療という理由だけで飛び込みましたが、子どもたちの母国の状況や、必要な支援について考えていくうちに、もっと専門的なことを学びたいと考え、平和村で職員として働きながらドイツで大学院に進学し、公衆衛生学修士号を取得しました。ドイツ語での課題、論文と今になって思うとよくやったと思います。卒業後はドイツに残ることも考えましたが、平和村の子どもたちの母国の状況をもっと知りたいと考え、JICA海外協力隊として平和村の支援国の1つであるウズベキスタン共和国の農村地域で保健師として活動しました。滞在中にドイツ平和村スタッフが渡航した際ドイツ語ーウズベク語の通訳として同行したりもしました。インフラが整わない中での医療は難しく、もっと自分の臨床能力を高めたいと思い帰国後は災害拠点病院である現在の職場で手術室と救急外来を担当していました。京都という土地柄海外からの患者さんも多く、慣れない土地でも安心して医療を受けてもらえるように指さし会話帳を片手に多言語で対応していましたが、ドイツ語圏の患者さんが来ると心の中でガッツポーズをしていました。(ウズベク語が話せる患者さんにも一度だけ会いました。)

 現在は3歳、1歳の子どもを抱えて育児休業中ですが、一昨年は長女を連れて家族でドイツを旅行したり、たまにドイツから友人が訪れたりと子どもたちもドイツを身近に感じてくれているようです。子育てがひと段落したら、次は何をしようかと毎日楽しく考えています。

 最後に今、SFCで学ばれている後輩のみなさんにこの言葉を送りたいと思います。

 「鉄は熱いうちにうて」

 未来の可能性は無限大です。ぜひ色々なことに挑戦してください。